1 カルテの改ざんと信用性(東京地判平成24年10月25日判タ1385号84頁)
2 事案の概要
本事案は,母親X1が,Yが経営する産科診療所の分娩介助により長女Aを出産しましたが,長女Aが,出生後1か月余りで死亡したため,X1と父親X2が原告となり,Yに対して,診療上の過誤により大動脈弁狭窄症を見落としたと主張し,債務不履行ないし不法行為による損害賠償を請求した事案です。
簡単な時系列は以下のとおりです。
平成19年5月1日 X1,Yが経営する本件医院を受診,胎児については異状なし
同年9月29日 X1,長女Aを出産,子退院まで新生児治療を受ける
同年10月5日 長女A退院
同年11月5日 A,母乳の大量嘔吐,低体温,呼吸停止状態 救急搬送後死亡
死因は,急性左心不全で,その原因は大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症とされています。
医学的知見は以下のとおりです。
・大動脈弁とは,全身に血液を送り出す左心室の出口にある弁で,半月形をした膜(弁尖:べんせん)が3枚あわさってできている。
・大動脈弁狭窄症とは,この大動脈弁の開放が制限されて狭くなった状態を指す。
・進行した大動脈弁狭窄症では,弁は強く石炭化して互いに癒着し,弁尖の動きが制限されるため,左心室から大動脈への血液の流れも制限されるようになる。血流の乱流が生じるため,聴診器を当てた時に,心雑音として聴取される。
・検査は,聴診(心音図),心電図,胸部X線撮影,心エコーを行う。
・重症の弁狭窄で大動脈弁狭窄症による症状があったり,心機能が低下してきている場合には,薬物治療にこだわらず,外科治療が勧められる。
3 争点と判断
⑴ 本件カルテの信用性について-否定
本件カルテの記載に不自然さを感じるとする複数の医師の指摘を待つまでもなく,本件改ざん部分の記載には不自然,不合理な点が多々認められ,いわゆる意図的な改ざんがあったか否かについてはさておくとしても,本件改ざん部分の信用性は極めて乏しい。
⑵ 聴診による大動脈弁狭窄症の診断(転送)義務違反の有無-肯定
医師が聴診を行っていたことは,カルテ上記載がなく,心雑音なしという記載については,信用性が乏しい。
解剖所見によれば,Aの大動脈弁狭窄は,重度のものであり,時間をかけて進行し,死亡に至ったもの(突然死であるというYの主張を排斥)
→十分な心拍出量があったと考えられる間は,たとえ経験が浅い医療者であったとしても,実際に聴診を行う,あるいは真剣に心雑音を聞こうとすれば,心雑音の異常を聴取し,これにより,大動脈弁狭窄症と診断し,専門病院に転送することができた。
→診断(転送)義務違反あり
⑶ 全身症状観察による心疾患の診断(転送)義務違反の有無-肯定
解剖所見によれば,大動脈弁狭窄による症状や心不全症状についても,程度の軽重こそあれ,時間経過に応じてそれ相応に生じていた(心不全症状は存在しなかったというYの主張を排斥)。
→遅くとも1か月健診時においては,体重増加不良とその他の全身症状の精密な観察によって全身症状の悪化を把握して心疾患の診断をするとともに,直ちに適切な治療を受けさせるために,専門病院に転送すべき注意義務があったにもかかわらず,懈怠した。
⑷ 損害
Xらが請求する各2940万円について,全部認容
4 考察
⑴ カルテの改ざんと信用性について
カルテの改ざんとは,証拠を隠滅する目的で診療記録の字句を不当に改めることです。
具体的には,証拠隠滅の目的で記載を削除したり,虚偽の事実を付加したりすることであり,証拠隠滅の目的があるか,付加したのが虚偽の事実であるかという点で,訂正や追記と区別されます。
カルテを改ざんする行為は,刑事事件に関する証拠であれば,証拠隠滅罪(刑法104条)に,公務員である医師が虚偽の記載をした場合には,虚偽公文書作成罪(刑法156条に),公務所に提出すべき診断書等に虚偽の記載をした場合には,虚偽診断書等作成罪(刑法160条)に該当します。
本事案では,Aについて「聴診をしたが,異常がなかった」「全身状態について異常がない」等のカルテの記載について,原告側から,改ざんがなされたと主張されました。
本裁判例のカルテの信用性についての判断のポイントは,以下の3点です。
①カルテの記載ぶりや他の乳児のカルテの記載との比較,当該部分の記載形式や内容等の合理性について詳細に検討した点
例えば,極めて丁寧に判読しやすい字で比較的詳細に記載されている点,体調増加不良を認めたという副院長による記載が一切ない点,レセプト担当職員が押捺すべきスタンプ等が押捺されていない点,医師がカルテの記載の経緯についてあいまいな供述をしている点,母子手帳の記載と整合していない点,診断を受けていない日であるのに具体的な体重の数値の記載がある点等があります。
②本件カルテの記載に不自然さを感じるとする複数の医師の指摘があったが,このような指摘を待つまでもないとしている点
専門家である医師の指摘からカルテの信用性を否定するという方法をあえてとっていない点は注目すべきです。
③「いわゆる意図的な改ざんがあったか否かについてはさておくにしても,本件改ざん部分の信用性は極めて乏しいものというべき」であるとし,カルテの改ざんの有無があったかどうかについては判断していない点
カルテの改ざんの有無について判断を留保しているのは,損害賠償請求の当否を判断するにあたっては,カルテの信用性を否定すれば十分であること,改ざんについて明確な判断を示すだけの資料がなかったこと,が考えられます。
⑵ 本裁判例の過失の認定についての手法
医療裁判においては,通常は,カルテの記載等の客観的資料を前提にしつつ,関係者の供述を分析吟味し,診療行為が医療水準に合致するかを検討するという手法が採られます。
カルテの記載内容が事実ではないという主張は,よほどのことがない限り通るものではありませんが,これは,専門的医師が診断過程において作成するカルテの内容は,診療過程,診断内容等を証明する上で,極めて信用性が高いと考えられているためであり,逆に,カルテの信用性が否定されると,病院側の主張全体の信用性が失われることになります。
本事案では,カルテの信用性が否定されるといった特殊事情があったため,カルテに記載されていたが改ざんが疑われた事実(たとえば聴診したが心雑音が聴取されなかった事実,大動脈弁狭窄症の心不全症状は存在しなかった事実)を前提に死因に至る機序を判断することは相当でない,とされました。
その代わり,解剖所見が客観的証拠として重視されています。
通常は,解剖所見があっても,結果からレトロスペクティブに過失を肯定することは直ちにはできませんが,本事案においては,客観的資料として解剖所見が重視された結果,解剖所見に記載された狭窄の程度や進行状況が前提となる事実となり,また,聴診等の医療行為もなかったことが前提となって,過失が認定されたものです。
⑶ 控訴審等について
病院側は,判決について,「まれな心疾患で産婦人科医が結果責任を負わされれば、新生児医療は崩壊する」とコメントしたようです。そして,死因となった原疾患は「大動脈弁狭窄症(AS)」ではなく「重症型大動脈弁狭窄症(CAS)」であり,その診断を求めることは不可能を強いることだとして控訴したようですが,報道等によれば,控訴審判決も,病院側に全額支払いを認めたようです。
確かに,乳児の大動脈弁狭窄症が,稀な心疾患であったことからすれば,産婦人科医に責任を問うのは酷とも思われます。
しかしながら,結果的に病院が敗訴したのは,カルテに信用性がないと判断されたことが大きく影響したと考えられ,カルテに信用性が乏しいとされた以上,病院の過失を否定するのは困難であると言えます。
近年は,電子カルテの普及でカルテの改ざんは以前より減ってはいるものの,病院側としては,カルテの改ざんは絶対に許されないことを,改めて,認識・自覚すべきです。
お知らせ
2013.07.19